2004年

ーーー1/6ーーー 正月の憂鬱
 
 子供の頃は、正月が楽しみだった。何故このように楽しいことが、三日間しかないのだろうと、疑問に感じたものである。三が日が過ぎても、「七日までは正月だよね」などと粘ってみたりもした。そんな正月が、ここ数年ちっとも楽しくなくなった。

 普段から休日の概念に乏しい自営業のせいかも知れない。大晦日まで仕事をする。大掃除などやらない。そして、正月はする事が無い。何処へも行かないし、誰も来ない。テレビなど見たくはないし、年賀状も大半はマンネリだ。仕方なく、工房へ入ってやりかけの作業をしたり、事務室へ上がってパソコンを叩いたりする。

 世の中も様変わりした。元旦からショッピングセンターなどが営業している。本屋に勤めている家内も、元日の朝、家族そろっての食事を終えると、そそくさとお店に出かけていった。その本屋に荷を納めに来た運送会社の従業員は、「俺達には正月なんか無い。ただ去年から今年に変わっただけ」と。

 子供の頃、東京の町中で暮らしたことがあるが、その当時は大晦日になると、各戸競うようにして、激しく大掃除をしたものだった。元日には、先端に金の玉がついたまだら模様の旗竿に、日の丸を掲げたものが、軒並み門の上に突き出された。外には晴れ着姿のお嬢ちゃんたちが歩き回り、ボンネットに赤い海老の形のお飾りをつけた車が、初詣に向けて走り回った。路地では凧上げや羽根つきの光景が見られ、家の中にはカルタや福笑いに打ち興じる笑い声が満ちていた。世の中おめでたムード一色になったのである。そんな時代が懐かしい。

 世が変わったのか、それともこの地域がそうなのか。はたまた自分自身のせいなのか。もはや正月は「年に一度訪れる退屈な三日間」となってしまった。一月四日になると、ホッと気がラクになる昨今の私である。



ーーー1/13ーーー 詩「月夜の蟹」

 
詩人の佐々木幹郎氏とは、一昨年(2002年)秋からのお付き合いである。物書きをしている私の姉の紹介でお会いすることができたのだが、その後私の作品アームチェアCatをお買い上げいただいた。そんな経緯で、氏の群馬県にある別荘(書斎)へ、しばしば出入りさせていただくようになった。

 現代日本を代表する詩人の一人である。しかし、詩人という肩書きからとかく想像されがちな、気難しさや、変人ぶりは少しもない。文学に対する厳しさはたいへんなものだが、平素は穏やかで気さくな、話し好きのジェントルマンである。

 その佐々木氏幹郎氏が、サントリーの季刊誌「サントリー・クォータリー」の2003年冬号(第74号)に詩を三編寄せている。そのうちの「月夜の蟹」という詩に私(オサム)が登場しているので、ここにご紹介しよう。


晩秋の新月の日に
樫の木を切る
百年経っても 虫がつかないんです
家具職人のオサムさんは言った
そういえば
満月の日の沢蟹を食べると
腹くだしするってね
村一番の色男 トクさんが言った
蛾はね 昼間寝ていて 夜 飛ぶんです
枯れ葉を踏み分けながら
大きな網を振り回していた 蛾類学会のコイケさんは
酔いながら 月の光のなかで黒い影になっている
スコットランドの海をただよう海草が
波にもまれ 風に吹き飛ばされ
蒸溜所の白壁に 叩きつけられる頃
日本の火山の麓の斜面で
男たちがボトルを傾ける
焚き火とともに始まる山小屋バーは
月が西の木の梢にかかりだすまで開店
グラスの底の一滴まで
脱皮を繰り返す満月の蟹みたいに
身体をやわらかくして
水が吸い込んだ泥炭の香りを嗅ぐ

あ 初雪 !



 私はこの詩の後半の、「日本の火山の麓の斜面で 男たちがボトルを傾ける」という部分に、妙に惹かれてしまう。なんとロマンを掻き立てる言葉の響きなのだろう!



ーーー1/20ーーー ケーナの筒作り
 
 以前自作ケーナの話を書いたが、一部読者から木の筒はどのようにして作るのかという問い合せがあった。今回はその種あかしをしてみよう。

 そのときの写真に登場したケーナの筒は、外径25ミリ、内径18ミリ、長さ380ミリである。この長さで G管、すなわち全ての指穴をふさぐとGの音が出る管となっている。

 筒を作る最初の工程は、全長に渡り内径18ミリの穴を開けることである。まず、十分に厚さの余裕がある板、例えば2寸ほどの厚さの板を用意する。それを長さ40センチ程度に切る。板の巾はと言えば、10センチもあれば十分。その板を万力に挟み、木口から穴を開ける。使う刃物はロングドリルという、長さ60センチくらいの木工用ドリルである。この長さだとボール盤では加工できないので、電気ドリルに取り付け、手で保持して作業をする。長さ40センチの穴を、思い通りのルートで開けるのは、なかなか難しい。ドリル刃は材の内部を進みながら勝手に方向を変え、途中で板の表面から飛び出すこともある。だから厚めの板が必要なのである。

 うまく穴が開き、反対側の木口まで貫通したら、その穴を中心にして直径25ミリの円を、両木口に描く。この円が、完成後の筒の外周となる。そして、その仮想円筒を板から切り出すわけだが、円筒の形で切り出すのは不可能。従って、円筒がぎりぎり内側に納まるような角棒を板から切り出す。木口に描いた円の接線を板の表面に写してラインを引き、それに沿って切って、角棒にするのである。

 ロクロ加工が出来る人なら、この先は簡単である。角棒の両端の穴に何かをかませ、ロクロにかければたちどころに円筒となる。

 私はロクロの機械を持っていないので、手作業で丸くする。まず、角棒の断面を帯ノコ盤で8角形に加工する。四隅を45度に落とすのである。それから手カンナで角を落としていく。両端に描いた直径25ミリの円を目印にして、少しづつ丸くしていくのである。ほぼ丸くなったら、ラウンド・スクレーパーという道具でカンナの刃の跡を落とす。その道具は、薄い鉄板の縁を曲線に加工したもので、これで木材の表面をこそぎ取るようにして削るのである。そうすると、カンナの刃で凸凹していた表面が、滑らかになる。

 最後はサンド・ペーパーで磨いて綺麗にするのだが、その作業は指穴を開け終わってからにした方が良い。ペーパーをかけてから穴開けをすると、材に付着したペーパー粒子のために刃物が痛むからである。

 手作業で丸くすると、丸いようで少しいびつなような、ファジーな形の筒になる。それがまた味があって面白い。もちろん実用上は何ら問題ない。竹よりは真円に近いと感じるくらいの丸さにはなるのである。
 

 
ーーー1/27ーーー 冬の寒さ
 
 
今朝(1月26日)は冷え込んだ。と言っても、マイナス11度であったから、この地としては大したことはない。それでも、50を過ぎた身には少々こたえる。

 寒いのと暑いのと、どちらの方が良いかという議論は、真夏か真冬になると、しばしば口に出る。私は、たとえ真冬であっても、寒い方がましだと言う。先日も息子とそんな話をした。

 寒いときは、暖房のきいた暖かい部屋に入ればホッとする。じわっと幸せを感じる。逆に暑いときに冷房のきいた部屋に入ればどうか。これは私の個人的な感覚かも知れないが、あまり気持ち良くはない。クーラーがばっちりきいて、ギンギンに冷えた部屋へ入った時、それまでかいていた汗が急に冷たくなる感覚は、どうみても感じが良いものではない。

 寒いときに暖をとるために火を焚く。あるいは陽の光を入れて部屋を暖める。これは自然な行為である。暑いときに涼を得るために団扇で扇ぐ、簾をかけて日陰を作る、打ち水をする。これも自然であろう。しかし、クーラーを使って冷やすとなると、もはや自然な行為とは言い難い。

 息子がおもしろいことを言った。いくらストーブを焚いても、部屋の中の温度が上がるだけで、外の気温は下がらない。しかし、クーラーを使えば部屋の温度が下がる一方で、外気の温度は上がる。つまり、自然の法則に反しているのだと。

 クーラーを入れなければ過ごせない夏の暑さよりは、ストーブで暖をとれる冬の寒さの方が自然で好ましい。冬の日に、こんな会話で寒さを乗り切ろうとする、風変わりな親子である。

 それにしても何故人類は、極寒の地から灼熱の地まで、とても住み易いとは言えない環境にまで、広く地球上に分布しているのであろうか。

(写真は、穂高西中学校のグランドのわきから眺めた、1月26日午前7時30分の、有明山と北アルプスである。有明山の左奥の稜線が、いわゆる「表銀座コース」と呼ばれる、槍ケ岳へ至るルート。その稜線上、雲の下が山小屋「燕山荘」のあるピーク。そのピークの手前の黒っぽい三角形が、中房温泉から燕山荘に上がる登山ルートの合戦尾根。燕岳の山頂は、有明山の後ろになって、この位置からは見えない)




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